ミトラのブログ 秘境と異世界

古墳、異世界、旅、マネー


日本では紀元前の弥生時代から文字があった

f:id:nonoty32a:20190912151540j:plain

弥生中期に硯製造か 糸島、唐津の遺跡 国学院大の柳田氏発表「国内最古級」|【西日本新聞ニュース】https://www.nishinippon.co.jp/item/n/488210/より引用


吉野ケ里に文字があった?

19年8月に福岡市の西新町遺跡などから130点の「すずり」の破片が発見されたと発表されました。

そのうち5点は紀元前100年まで遡ると判断され漢(前206年から紀元220年)で使用されていた物に類似している。

すずりには墨とみられる黒い付着物が付いていたので、文字を書いていたと推測された。


これが意味する事は重大で、弥生時代から日本には文字が在ったことになります。

最近まで西暦500年頃から文字が使用され始めたと考えられていて、一気に500年以上も遡る。

2018年には長崎で「周」と刻まれた弥生土器が発見され、1世紀から3世紀ごろと鑑定されていた。


福岡市で出土した「漢委奴国王」の金印が作られたとされる年代にも近く、距離的にも近い。

西暦500年台以前の文字は「大」「周」など一文字が多く、日常的に文字で連絡を取ってはいなかったようです。

祭礼などの際に文字を書くなど、意味を伝えるのではなく神秘的な記号として使われたのかも知れない。


紀元前の日本の様子

弥生時代の九州に文字があったとすると、日本神話の内容や年代にも影響があるかも知れない。

神話の年代から第9代までの天皇は年代や人物名がはっきりせず、正確な記録とはいいがたい。

天武天皇の時代に適当に考え出したものだという説もあり、内容と年代に常に疑問が提示されていました。


だが紀元前から文字が存在したとすると、年代や人物名などを記録できていたかも知れません。

神武天皇が即位した皇紀0年は紀元前660年ですが、ひょっとしたらこの数字に何かの意味が隠されているかも知れない。

紀元前660年頃はエジプト第25王朝が崩壊し、中国には統一王朝が無く多くの勢力が争っていました。


九州では稲作が始まり環濠集落ができ始めていたが、吉野ケ里遺跡のような大集落はまだ存在しなかった。

神武天皇が即位するにはあまりに早すぎるが、すずりが発見された紀元前100年には吉野ヶ里周辺は人口5000人以上になっていた。

日本列島の人口は30万人に達し九州にも数万人が住み、最も早く弥生化したため日本の最先端地域になっていた。


九州から出雲や関西へ勢力拡大するには適切な時期で、ヤマト王権に繋がる歴史が紀元ゼロ年には始まっていないと間に合わないのです。

ヤマト王権の始まりは紀元前100年以前、九州から出たのが紀元0年前後、出雲に達したのが100年頃、大和に達したのは200年頃とするととても自然です。

九州から出たのがもっと遅かったとすると、西暦200年頃に九州から大軍が出発して一気に大和を征服したことになる。

 

それが神武天皇の東征ですが、実際には数百年をかけて大和に達したのを一人の人物として描いた可能性もある。