ミトラのブログ 秘境と異世界

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アマテラスは誰だったのか

紀元前2000年前ごろのメソポタミアの太陽神

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https://aqacompass.up.seesaa.net/image/3E3839FE38388E383A9.jpgより引用

 


アマテラスから神武天皇

このブログの裏のテーマは古代日本史ですが、中でも最大の謎はアマテラスや神々として描かれた人々です。

これらを「ただの空想」と片づける事もできるが、世界の神話のほとんどには元になった事実があります。

古事記と日本書紀は天から降りてきた神々が出雲を通って奈良に引っ越す話で、考古学の研究結果とも一致しています。


今から3000年ほど前の紀元前10世紀のある日、数十人の渡来人が福岡の海岸に上陸し、初めて田んぼをつくり水耕稲作を始めた。

これが弥生時代の幕開けで、渡来人は九州の縄文人と混ざり合って弥生人になり、紀元前500年ごろ九州に弥生国家を建設します。

これが有名な吉野ケ里遺跡などで、数百年で九州から瀬戸内海周辺にも弥生化が進行しました。


瀬戸内海東端の大阪や奈良も弥生化し、その後も東へ東へと弥生化していきました。

記紀の記述は大きな流れとして九州から東に向かい、奈良に都を開いた後東日本も征伐しています。

事実との符合によって、記紀は空想どころが事実をなるべく正確に、後世に残そうとした記録だと考えられます。


アマテラスは古事記の中で太陽神として登場するが、太陽神という考え方は縄文時代には存在しませんでした。

世界で初めての太陽神はメソポタミア文明で、紀元前2000年前の壁画などで既に太陽神が登場しています。

太陽神はインドでは光背を背負った仏神に変わり、西洋では後光が差すキリストなどに姿を変えています。

 

吉野ケ里から大和に都が遷る100年間

インドや大陸を経て日本に太陽神がたどり着いたのが弥生時代で、稲作や農耕と関係がありました。

水耕稲作は集団農業で、太陽や月を観測しながら農作業を行わないと収穫できない。

太陽や月や星を観測して作業スケジュールを決めるのは、農耕社会では最も重要な技術でした。


古事記を読むとアマテラスが生まれたのは九州で、アマテラスの5代後の神武天皇も九州で生まれ、奈良県に攻め込んで都を開いています。

考古学上この時期にあたるのは、奈良県で最初の前方後円墳が作られた西暦200年代に相当します。

その少し前の西暦100年代が九州の吉野ケ里遺跡や出雲の荒神谷遺跡の最盛期で、奈良県に都が移ると急速に衰退した。


この頃大陸との関係に大きな変化があり、奈良県周辺で辰砂(しんしゃ)という水銀の原料が大量に発見されていました。

九州や瀬戸内海周辺でも辰砂は取れたが奈良周辺は圧倒的に埋蔵量が多く、金や銀より遥かに高価なものでした。

弥生時代の古墳から大量に発掘される青銅器は、水銀と引き換えに交換貿易で手に入れたと推測されています。


アマテラスの時代は稲作や青銅鏡などが登場し、都が奈良に移る数世代前なので、西暦100年から200年ごろと推測できます。

有名な邪馬台国の卑弥呼は西暦250年頃の人物なので、神武天皇より後の人物となり違うように思います。

という訳でアマテラスについて推測できるのは、西暦100年から200年前後に九州で生まれた王家の女性というところです。