ミトラのブログ 古墳と異世界

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京都の天智天皇陵ほかを訪問

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最初の証明された天皇陵

いよいよ残っている天皇陵の中で、最後の大物といえる天智天皇陵の番です。

取っておいたわけではなく、たまたま左上、右上、右下のように巡ったら、残っていました。

江戸時代など幕府時代の天皇陵の多くは寺の敷地に間借りしたり、明らかに空き地に押し込んだりしています。


最初の頃は平地の一等地に新たに造営されていたのだが、奈良や京都は開発されて空き地がなくなったからでしょう。

狭いのを嫌って遠方の山奥に造営された天皇陵も居れば、団地スタイルでまとめてある天皇陵もありました。

天智天皇は672年没なので794年に京都の平安京に遷都する120年も前、天智天皇陵がある山科はただの森林だったでしょう。


京都の天皇陵としては珍しく、平地の広い敷地が割り当てられている。

前方後円墳はもっと前の30代敏達天皇までなので、38代天智天皇陵は八角墳となっている。

天智天皇陵は考古学的に証明された最初の天皇陵で、言い換えると37代までの天皇陵は証明されていない。

 

京都の1号線を走るライダーたち

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フェンスの向こうが天皇陵なのに入り口が分からない

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記紀の記述が曖昧だったり、発掘が許可されなかったり、大半の天皇陵はそもそも所在が不明だったりする。

天皇陵が文書に書かれるのは西暦710年ごろの古事記・日本書紀からなので、書かれた年から前の出来事になるほど曖昧です。

天智天皇陵は広い敷地に広い道路、広い拝所を備えた明治天皇陵に似ていて、明治政府が参考にしたと思われます。


天智天皇陵より前の天皇陵は徳川幕府や明治政府が、決めた場所に在り、学者らが研究した成果に基づいている。

とりあえずどこかに定めないと祭祀や参拝もできないので、陵墓というよりも記念碑として置かれている。

どこかに定めないと例えば神武天皇に参拝しようとしても、参拝する場所がない事になってしまう。


これをもって「天皇陵は偽物」という論法を展開する人が居るが、それなら災害などで遺骨が入っていない墓も「偽物の墓」になってしまうし、原爆慰霊碑も「偽物」になる。

それらは慰霊碑や記念碑であり、所在不明の天皇陵もそのようなものです。

 

入り口は通り過ぎた道路沿いだった

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看板などが割と新しい

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ガリバーが歩くみたいな長い参道

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森を通り

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門を抜け

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また杉林を通る

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拝所につく。前方後円墳のような壕や池はない

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京都の天皇陵は線を引いて、ならしてある事が多い

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周囲を歩くことはできない

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清掃を終えて一礼する人たち

有志のボランティアか委託されたのかは分からない

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この日は35度くらいまで気温が上がった

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つづく