ミトラのブログ 秘境と異世界

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京都市右京区の天皇陵を回ってきた 前編

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光考天皇と圓融天皇

4月初めに京都市右京区の天皇陵5か所を巡ってきました。

もっと回るつもりでしたが、最後は予想外の展開で帰宅することになります。

どこでも良かったのだが右京区にしたのは適度に陵墓が並んでいて、効率よく回れる気がしたからです。

 

大阪から奈良の天皇陵には1時間半でだいたい着きますが、京都だと片道2時間以上なので、一度にたくさん回りたいのです。

スタンプラリーのように移動するので、一か所一か所はあまり記憶に残らないのが残念です。

最初は光考天皇陵ですが、京都市内の天皇陵はどれもコンパクトにまとまっている印象です。

 

光考天皇陵は細い路地にさりげなくある

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狭い敷地にコンパクトに納められている

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奈良県だと最初にドーンドーンと天皇陵を作り、それから宮殿や集落や都市を作っている印象です。

京都は最初に都市を建設し、空き地や山に天皇陵を作ったという印象でした。

ここら辺に奈良から京都に移って、天皇の権威が低下したのが分かります。

 

拝所の横から入る珍しい構造

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光考天皇は第58代天皇で西暦830年に即位、西暦で年代が分かっているのも奈良とは全然違います。

奈良県南部の天皇はまず「実在したか」研究者が揉めるところから始まります。

光考天皇と同年代?としては小野小町、空海、最澄が居て、光考天皇自身には目立った業績とかはないです。


2人目は圓融天皇陵で第64代天皇、西暦991年即位で、この辺になると陵墓自体がこじんまりしてきます。

70代目辺りからは何人か同じ陵墓にまとめたり、同じ場所に併設し始めます。

こうして権力の地盤沈下が進み、ついに武士に実権を明け渡すことになります。

圓融天皇にも特筆する業績はなかったようです。

 

仏教寺院のように石をならして線をつけてあります

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周囲が狭いので全体を撮影しにくい

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圓融天皇陵

移動途中の踏切、有名な場所らしく鉄道マニアが集まっていた

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圓融天皇陵も分譲住宅みたいに入り口が狭い

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この奥が陵墓

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拝所はかっこいい

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周囲を歩くことはできない

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周りをクマバチが飛び回っていて逃げる

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つづく