ミトラのブログ 秘境と異世界

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弥生時代の日本は3つに別れていた

九州は先進地域だったが人口では圧倒的に近畿から関東が多かった

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九州、関東、奈良

今日のテーマは、弥生時代の日本は3つに別れていた、です。

弥生時代とは紀元前1000年ごろから西暦200年ごろまでの約1200年間を差し、その前は縄文時代でした。

縄文時代は約1万5000年前から紀元前1000年まで続いたので、弥生時代はとても短いです。


しかも「きのうまで縄文」「はい今日から弥生」のように切り替わらず、大半は縄文時代が続いていました。

九州北部の福岡県から農耕や集団生活の弥生化が始まり、大阪まで辿り着くのに300年、青森までもう300年かかりました。

結局北海道と沖縄は弥生化せず、青森の農耕も一度失敗してやりなおしたりしています。


九州から東北まで弥生化した期間はほんの数百年、西日本に限っても1200年の半分の600年くらいでした。

福岡県を中心とした九州は渡来人によっていち早く弥生化し、半島や中国と交易をしていました。

青銅や鉄もいち早く伝わったが、これの物は中国皇帝から貰うか、許可を得ないと売ってもらえませんでした。


魏志倭人伝に登場する国の多くが九州にあり、弥生技術や文化の中心は間違いなく九州だったと考えられます。

ところが人口という点では、縄文時代に関東が圧倒的に多かったのだが、弥生時代になってもやはり関東が多かった。

技術や文化や大陸貿易の中心は九州だが、人口が多かったのは関東でした。


そして弥生時代末期の西暦100年頃になると、奈良を中心とした近畿に、突如として「ヤマト国家」の首都が出現しました。

九州でも関東でもなくどうして奈良だったのか、場所が中間で都合が良かったという説もありますが、分かっていません。

 

なぜヤマト国家の首都が奈良になったのか、その理由は謎に包まれています