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垂仁天皇陵を訪問(奈良市)

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亀や鳥の楽園だった

前回、3月18日に東大阪市から暗峠(くらがりとうげ)を通って奈良側に出た後、奈良市の垂仁天皇陵に行きました。

地図で見る国道308号線は直線の広い道路っぽいが、実際は平野部に出てからも町道レベルで、裏道でした。

サイクリングやハイキングの人を抜きながら田畑や住宅の中を走り、尼ヶ辻駅の手前で曲がると垂仁天皇陵があります。


地図上でも濠を備えな大きい前方後円型なのが分かり、濠の外側は330メートルもある。

内側の島の部分だけで220メートルで、奈良平野でも最大級の大きさになる(全国では20位)

4世紀後半と推測されているが、今までに発掘調査は行われていないので、よく分かっていない。

 

国道308号線、何度も間違えたかと思った

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畑の向こうに尼ヶ辻駅が見える

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ではどうして垂仁天皇の陵墓と分かるのかというと、古事記・日本書紀の記述から推測されている。

330メートルにも達する外濠は貯水のため江戸時代に拡張されたとみられ、築造時はもっと小さかった。

壕の中間に小さい島があるのが、以前の本当の堤の名残だといわれている。


近くに尼ヶ辻駅があるが周囲の多くは畑に囲まれていて、良い環境が保たれている。

壕のとなりに小さな溜め池があるが、だれかが離した亀が増えて、大量に住んでいる。

広い壕には水鳥が泳ぎ、島の陸地は森になっていて、カラスや鳥がたくさん住んでいる。

 

広い壕は江戸時代に拡張した溜め池

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垂仁天皇は第11代天皇で、第9代あたりから実在の物証が確認できるようになる。

伊勢神宮の建立、相撲の始まりなどがこの時代だったと考えられている。

前方後円墳の始まりは第9代からで、以降31代まで巨大な前方後円墳が建造された。

 

歩けるようになっている

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見晴らしは良いが、前後左右上下から羽虫に囲まれて逃げた

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農機具を置く小屋がいい味をだしている

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丸い小島がかつての堤の名残り

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壕を回り込むと拝所がある

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反対側の溜め池、黒い点々は亀たち

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日向ぼっこしているが近寄ると高速で逃げてしまう

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これが拝所

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拝所の周囲は田植え前の田んぼが広がる

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おしまい