ミトラのブログ 古墳と異世界

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楠木正成の千早城に上ってきた 後編

千早城は今も難攻不落だった

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数百人で20万人を防いだ城

金剛山の中腹にある大阪府千早村の千早城に出かけ、石段を登って頂上に辿り着いた、と思ったところからです。

前回

石段の一番上に上ったものの、そこは特徴のない広場で、奥のほうにまた石段が見えていました。

上る前に見た地図によると広場が「四の丸」で正面奥にあったのが千早神社です。

 

良い感じの廃屋が点在している

f:id:nonoty32a:20180330194243j:plainという配置は降りてから分かったのだが、奥に進むと使われていない廃屋がいくつかあり、鳥居などをくぐる。

もう一段高い場所まで再び階段を上ると、由緒ありそうな神社が鎮座していて、千早神社でした。

目的は達したようだし帰ろうかと思って周囲を観察すると、小さな標識に「千早城本丸」と書かれていました。


ここまで来て本丸に行かずに帰るのは物足りないし、もしかしたら何か遺跡が残っているかもしれない。

矢印に沿って歩くと舗装はもちろん石段も砂利すらなく、ただの山道になっていました。

木こりやクマしか通らなさそうな道をしばらく歩くと、唐突に広場にでてコンクリートの休憩所が存在した。

 

ここがゴールかなと思ったが

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鳥居の奥に道は続いている

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コンクリの屋根には悪ガキどもの落書きが定番のように書いてあり、そこが本丸なのかを示す標識はなかった。

おそらく本丸はもう少し歩いた場所で、そこは曲輪の一つではなかったかと思う。

ともあれ何故、楠木正成の千早城は数百人の軍勢で20万人の鎌倉幕府軍を防げたのかは、十分すぎるほど理解できた。


たとえ何十万人集まろうとも、一度に登れるのは数人ずつであり、石段を登れば石を落とされたり槍で突かれる。

急な斜面を上るのは登山と同じで、上からは易々と攻撃できるが、下からは絶対に攻撃できない。

こうして楠木正成は数か月間籠城し、その隙に足利尊氏によって鎌倉幕府は滅ぼされました。

 

未整備な階段が続きます

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上ったらまた階段があり

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上るとまた階段がある

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あれがきっと最後の階段だろう

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これが千早神社です

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帰ろうと思ったら「千早城本丸」の立て札を発見してしまう

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もう2度と上らないかも知れないし、行ってみよう

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予想と違いすぎるものが登場、これは本丸じゃないだろう

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道は奥まで続いているが立て札もなく、スマホが不通なので位置も分からなくなった

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最初の広場に戻って名物らしいセブンアップのベンチを撮影

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急な階段を下りて戻る、予想よりきつかったが達成感はあった

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おしまい