ミトラのブログ 古墳と日常

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楠木正成の千早城に上ってきた 前半

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気軽に出かけたが

3月の前半のまだ少し寒い時期に、大阪府千早村の千早城に行ってきました。

千早城は金剛山ロープウェー乗り場に行く途中に入り口があり、何度か前を通ったことはありました。

入り口は階段を上るようになっているが、「まあ大した事はないだろう」と考えました。


地図で見ると道路から城までは大した距離ではなく、10分も歩けば着くように思えました。

金剛山や千早城は高齢者に人気のハイキングコースで、舗装道路を徒歩で上っている人を大勢みかけます。

千早城は楠木正成の居城で、1331年から1333年にかけて鎌倉幕府軍に攻め込まれ、最後まで持ちこたえて幕府を滅ぼした。

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途中の「道の駅かなん」に寄ってみる

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地元のお菓子などが豊富でお勧め

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葉っぱまで食べれた桜餅は期間限定

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後醍醐天皇は鎌倉幕府と対立して討幕軍を募り、呼応したのが楠木正成だったが、孤立無援の戦いとなった。

幕府軍30万人に対して楠木軍は3つの支城を次々に落とされ、最後に数百人が千早城に立て籠もった。

力攻めで押してくる幕府軍は攻撃のたびに数百人の犠牲を出し、犠牲を嫌った幕府軍が包囲し兵糧攻めを行った。


そのあと再び力攻めを始めたが、結局5月10日に幕府軍は包囲を解いて撤退、5月22日に鎌倉幕府そのものが滅亡して終戦となった。

鎌倉幕府を倒した最大の功労者だが、足利尊氏に打ち取られて「楠木幕府」ではなく「足利幕府」が成立した。

鎌倉幕府滅亡後に足利尊氏と後醍醐天皇が対立し、楠木正成は再び天皇に付いたが、今度は尊氏に破れた。

 

千早城入り口がある辺り

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地図では楽勝です

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年寄りの足で25分ならおれは5分だなと勝手に解釈した

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階段の上が城跡かな

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鳥居の先に古い石段(歩き難い)が続く

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上ったら石段は急になり、奥まで続いている

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右に左に曲がりながら上る

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心臓の鼓動が速くなり、寒いのに滝のように汗が出る

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千早城と書いてあるゴールが見える

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だがここは千早神社で、千早城はもっと上だった

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続く

後編