ミトラのブログ 古墳と日常

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太子町の孝徳天皇陵に行ってみた

孝徳天皇陵の階段から下を振り返る

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「日本」建国前夜の天皇

3月初めごろに敏達天皇陵や用明天皇陵と同じ日に訪問したのですが、長くなりすぎるので分割しました。

孝徳天皇は36代天皇だが、姉の斉明天皇が2回天皇になる間、ピンチヒッターのように天皇を務めた。

34代が姉の夫の舒明天皇で、35代が姉の皇極天皇(斉明天皇と同じ人)、36代が自分で37代も姉の斉明天皇だった。


38代は斉明天皇の長男の天智天皇で、以降現在の天皇までこのお姉さんの子孫が即位しています。

孝徳天皇が在位したのは9年間だったが、この時に「元号」(大化)が初めて使われ、大化の改新も起きた。

また姉の皇極天皇から初めて生前譲位を受け、姉は斉明天皇と名前を変えて同じ人物が2回天皇に即位した。

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太子町ウォーキングコースの途中にある

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旧山本家の反対側が天皇陵

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大化の改新とは孝徳天皇の姉の息子である中大兄皇子(天智天皇)が、蘇我入鹿を襲撃した乙巳の変で始まった。

蘇我一族は天皇以上の実験を握っていたとされ、蘇我氏を滅ぼすことで日本は中央集権国家へと歩み出す。

孝徳天皇と斉明天皇の時代に実験を握ったのはクーデターを起こした中大兄皇子だったと言われている。


中大兄皇子はクーデターの中心人物で反発も強かったので、母の斉明天皇や叔父の孝徳天皇を立てた。

斉明天皇が崩御してやっと天智天皇として即位し、唐と対立する過程で軍事国家に傾倒していく。

天智天皇が百済を救済するために派兵した白村江の戦いで大敗してしまった。


だが超大国唐と互角に戦ったことで日本は独立国家として認知され、「日本」という独自の国が形成されていく。

孝徳天皇はこうした激動の時代に即位し、仏教の導入や律令制度の確立に功績があった。

 

奥の階段を上っていく

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あまり好きじゃない山登り天皇陵です

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イノシシ注意の看板

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山の上の天皇陵が好きじゃない理由は

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登っても何もないし、木が密生して景色も見えない

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拝所は江戸期から明治に追加したもので、歴史的な意味はないです

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階段途中の景色が良い場所

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神社があったりするものだが、何も無いので竹内街道歴史資料館に向かいます。

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竹内街道歴史資料館は徒歩数分の場所にあります

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公民館くらいの建物に石器時代から中世まで展示しているので、各時代の展示量が少ない

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どれかの時代に集中した方が良いような気がする

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おしまい

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