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天皇陵の起源はいつか? 所在不明の天皇陵が9つ


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箸墓古墳は西暦230年ごろの最初期の前方後円墳でありながら、失われた外堀込みで全長300mもある。

後の天皇陵より豪華な5層と、被葬者が只者ではないのが分かる。

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http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/cgi-bin/04c_o_l_u_m_n/data/upfile/36-1.jpgより引用

 

陵墓が不明の天皇9人

思いつきで天皇陵めぐりを始めて今までに8ヶ所を回ったが、ブログを書くために色々と調べてみて分かった事があった。

天皇は現在まで125代目で、124人分の陵墓が存在するが、場所が確定しているのは115人で、最初の9人は埋葬地が不明です。

しかし不明では恰好がつかないというので、江戸時代の元禄期に水戸学者などが中心になって、不明の陵墓の探索をおこないました。


だが最初の9人の陵墓の所在がどうしても分からなかったので、「古事記」「日本書紀」に書かれた場所に、「新たに天皇陵を指定した」のです。

最初の9人のうち「孝昭天皇陵 」「孝安天皇陵 」に行ってみたのだが、他の天皇陵と違う違和感を感じました。

初期の天皇陵の大半は前方後円墳で、平地の一等地にあるのだが、2人の陵墓は「ただの裏山に適当に作った」感じがします。


山だから規模や面積は大きいのだが、精巧で美しい前方後円墳と比べると、やっぱり「ただの裏山」に過ぎません。

日本書紀とかに書いてある通りの場所はそこらしいというので、山を削ってそれらしい参拝所を作り、石段で登れるようにしてあります。

だが自分自身の目で見て歩いてみた印象としては「ここは天皇陵ではない」と思いました。

 

箸墓古墳は不明の天皇陵の一つか?

元禄期に9ヵ所が指定された後、日本は明治維新を経て天皇を中心とした国家になり、もはや「天皇陵在りません」とは言えない時代になった。

そして今日まで最初の9ヵ所は元禄時代のまま「天皇陵である」という事になっているが、これで良いのだろうか?

特定されている10代から30代までは前方後円墳の時代で、 時代的には西暦350年ごろから600年までに相当します。


この頃日本に仏教が伝来し、今日見られるような寺院や神社が、数千数万も建てられていきました。

葬儀や埋葬の仕方が変わったので前方後円墳が作られなくなったのだが、問題は始まりの頃です。

最初の前方後円墳は西暦200年以降と言われていて「卑弥呼の墓」とマスコミが大騒ぎした箸墓古墳は西暦230年頃と推測されています。


被葬者が卑弥呼なのかは分からないが、既に天皇(大王)やヤマト政権が成立していたので、その最高権力者だと想像できます。

この時代以前は魏志倭人伝に記された「倭国大乱」の時代で、ヤマトに統一政権はなかったと考えられています。

一番可能性が高いのは、初期の前方後円墳で最大の「箸墓古墳」は不明の9人の天皇陵のどれか、恐らくは最初期の天皇ではないかと推測します。


天皇陵は最初から前方後円墳だった、むしろ天皇陵のためにあの形が考案されたと考えるほうが、理に叶っています。

宮内庁が発掘を禁じているので、全て推測でしかありませんが。