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江戸のうんこリサイクル業 昭和まで存在していた


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江戸時代の絵では下肥買いが中身を飛ばしながら運んでいて、通行人が避けている

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https://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2015/12/shimogoegai_l.jpgより引用

 

つい数十年まで江戸時代のシステムが稼動していた

現代のトイレは自動化されていて、水を流すとどこかに消えてしまい、2度とお目にかかる事は無い。

だが現代でも汲み取り式トイレは存在していて、古い住宅では時々見かけます。

不動産の中古一戸建て住宅情報を見ていると、「これは安い」と思い設備をチェックすると「トイレ汲み取り式」と書かれていた。


汲み取り式だとメンテナンスというか汲み取りに来て貰わないといけないし、夏はハエが発生したり大変です。

昭和の後半にはバキュームカーってのが日本中を走り回っていて、臭いにおいを撒き散らしていました。

だがその前、バキュームカーが普及する前はどうしていたのかが気になりますよね?


バキュームカーは1951年に初めて登場し、1970年代に全盛期を迎えたが、1980年代からは水洗トイレと下水道の普及で減少しました。

日本は伝統的にトイレの内容物(下肥)を畑の肥料として利用し、収穫した農作物を食べるというリサイクル社会でした。

江戸時代にはこの機能が高度に発達し、下肥買いと呼ばれる商売があったと、様々な図画に残っています。


当時の人が書いたイラストでは、下肥買いは棒の両端に桶を一つずつぶら下げて、各長屋などのトイレから中身を回収します。

トイレの内容物を下肥買いに売った人は対価として野菜を貰うが、これは収穫期に後払いになる。

回収した桶は荷車(リヤカー)に10個以上載せて、農村まで運び農家に販売します。

 

こうした商売は昭和40年代まであった

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http://img01.shiga-saku.net/usr/otsu100c/Koshashin004966LL.jpgより引用

 

昭和40年代まで買い取り人が居た

農家は農作物を収穫したら、大根や白菜などの野菜で支払い、その野菜は食べたり現金化して大家の収入になったりしました。

下肥は出した後すぐには肥料に使えず、一定期間溜めておく必要があり、「肥溜め」と呼ぶ貯蔵施設が農村の至るところに存在した。

そしてこういうリサイクル商売は大昔ではなく、今から40年ほど前の昭和50年頃まで存在していました。


昭和40年代まで街には普通に下肥買いの人がリヤカーに桶を積み重ねて引っ張っていて、農村には肥溜めがありました。

当然昭和50年代には野菜の肥料の多くは「うんこ」であり化学肥料ではありませんでした。

下肥買いが廃れるきっかけになったのは昭和39年の東京オリンピックで、こんなものは外国人に見せられないから無くしてしまえとなりました。


経済成長で欧米先進国と同じ水洗トイレと下水道が建設可能になり、あっという間に汲み取りトイレは姿を消しました。

学校の怪談でトイレに必ずオバケが出ますが、もちろんオバケが出るのは汲み取りトイレであり、その恐怖は水洗トイレと比較にならないでしょう。

また昭和40年代までは「汲み取りトイレや肥溜めに子供が落ちて亡くなった」というのが毎年何件かあり、ニュースの定番だったようです。


リサイクルは地球に優しいが、とても怖いですね