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火葬場の火葬技師という職業


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新秩父斎場(新築時)の火葬炉、裏側は工場のよう

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江戸時代までの火葬

世の中高齢化が進んでいて生まれる子供が年間100万人を切り、なくなる人のほうがずっと多い。

年間130万人近くがなくなっていて、そのほとんどは火葬場で荼毘に付されます。

実は火葬でなくてはいけないという法律はないので、キリスト教とか外国人は土葬禁止区域でなければ土葬しても良い。


ただ土葬は衛生上の問題と場所を取る事(桐箱に入れて仕舞う事はできない)、結果として費用が高くなる。

その点火葬は焼いてしまえばコンパクトに収まり持ち運びも収納も自由なので、安くて後が楽なのです。

火葬は日本では聖徳太子の頃には既に始まっていて、しかも身分が高い人から先に始まりました。


江戸時代には火葬はかなり一般的だったが、現代のような火葬場や焼却炉なしにどうやっていたのでしょうか?

先日写真を撮って掲載した大阪難波の「千日前刑場」では刑場の奥に葬儀場があり、その奥に焼き場が存在していました。

焼き場は密閉した焼却炉ではなく完全な野焼きスタイルで、キャンプファイヤーとかバーベキューのようにやっていました。


江戸初期には江戸のほとんどの地域には火葬場を備えた寺があり、周囲からの煙と臭いの苦情が酷かったとされている。

あるとき将軍徳川家綱が墓参に来たところ、火葬のばい煙が問題になり、火葬場は刑場周辺等に集められる事になった。

それで大阪の千日前刑場にも火葬場があり、他の地域でなくなった人も焼いていたようです。


ご遺体を運ぶ仕事は、実は江戸時代には「士農工商えた非人」で習った『えた非人』さん達が担当していました。

そういう人達をまとめたり、仕事を斡旋するリーダーが居て、町の清掃や「不浄なもの」の処理一切を幕府などから請け負っていました。

だから彼らは無職というわけではなく、仕事や収入があったのです。

 


火葬場の火葬技師

現代の火葬場は当然野焼きではなく、密閉された焼却炉の中でガスなど高温で、ばい煙が出ないように焼いています。

火葬場で焼く係りの人を火葬技師と言い、田舎では単に「鬼」と呼んで居たりもします。

火葬技師は普通に求人募集している事があり、自治体経営の火葬場でもたまに職員を募集している。


一般的な報酬は手取り20万ほどと多くないが、週休2日で定時退社、残業なしなので兼業農家などに向いているかもしれない。

仕事内容は現代だからスイッチを押してチーンとタイマーが鳴るのを待てば良い様な気がするが、それでは完全に火葬できない。

巨大な焼き魚のようなものだが、決められた時間で中まで完全に焼却し、骨だけにする必要がある。


そこで具体的には火葬技師が小さい扉を開けて経過を観察し、必要に応じて棒でつついたり動かしたりする。

完全に密閉してはいないので、どうしても美味しくない焼肉のような臭いが服につく。

火葬が多い日と少ない日があり、暇なときは棺おけを製作したり(火葬場の収入になる)している。


霊柩、納棺や納骨もやり、火葬場の控室(実は大きなの収入源)の手入れなどもする。

最近は身内だけで安く葬儀を済ませる場合が多いが、火葬場の控室や式場を借りてもらわないと、焼くだけでは赤字なのだそうです。

火葬そのものは規定料金では赤字なので、各自治体などは火葬炉を増やそうとせず、いつも火葬場は予約で満杯になります。


仕事内容はとても楽だそうだが、欠点としては向き不向きがはっきりしている事で、向かない人が努力しても勤まりません。