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ケインズの投資 投機で大失敗し堅実な投資家に変身


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これは晩年の堅実スタイルで、若い頃はハイリスク投資が大好きだった

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http://www.nikkei.com/content/pic/20130622/96958A88889DE7E4E1EAE0E4E7E2E3EBE2E4E0E2E3E1E2E2E2E2E2E2-DSXBZO5638313019062013000001-PB1-14.jpgより引用

 

投資家の時代

20世紀の代表的な経済学者にケインズという人が居て、「ケインズ経済学」というジャンルすらあります。

おおよその経済学者ってのは勉強や数字は得意だが現実性に疎く、何の役にも立たないガリ勉が多いです。

だがケインズは違っていて、自分で株などの投資を行って自分の経済理論を実践し、なおかつ勝って結果を残しました。


経済学で名を残すのも、投資で一生涯を通じてプラスで終えるのも、どちらも常人にはできない事です。

ケインズが生まれたのは1883年で、もうひとり同時代の有名な投資家、リバモアより10年ほど遅く生まれていました。

バモアは派手な空売りや市場操作など、今では違法になっている手法を用いて、相場を動かすのが得意だった。


バモアやケインズの頃、取引所には手書きのボードがあり、ボーイがチョークで数字を書き換えていました。

市場価格は電話の原理を利用した通信機で伝えられ、係りの者が読み上げるとそれを黒板に書いていった。

リアルタイムで相場価格を知ることはできないので、相場観や大局観が重要だったと言われている。


バモアは小さな取引所の黒板係をしていたが、自分で相場を始めて成功し、大投資家と呼ばれるようになった。

小学校しか出ていないリバモアに対してケインズはエリートで、大学の経済学研究の一環として、遊びで株式投資を始めた。

本格的に投資を始めたのは大学卒業後で、政治活動、経済学研究、そして経済官僚としても優秀だった。

 

天才かバクチ打ちか

ただ浪費癖があったため役人としての給料では遊興費を賄えず、手軽な金儲けとして株投資をやっていた。

およそ10年間の投資で1万6000ポンド(約19万円=現在の8億円程度)の資産があり、それ以上の金額を投資で儲けました。

イギリス財務省の官僚、同時に経済学者として名声を集め、投資でも成功して優雅な生活を送っていました。


第一次大戦の講和会議でイギリス代表として派遣されるが、自分の主張が受け入れられずに辞めてしまいます。

経済学の最高権威(を自認している)ケインズから見て、おそらく周りがバカに見えてしょうがなくて辞めたんだろうと思います。

ケインズはドイツに高額な賠償金を課すのに反対したが、米英仏は巨額賠償を課し、後にこれがヒトラーの復讐を生んでしまう。


ケインズの正しさは後に証明されるのだが、この時は役所を辞めた上に、投資でも大敗を喫しました。

ケインズは高額賠償を吹っ掛けられたドイツマルクは暴落すると読んでマルクを売ったが、予想に反してマルクが上昇して全財産を失いました。

父親も有名な学者で金持ちだったので経済的に助けてもらい、親から貰った金を元手に、また投資を再開しました。


初期は株取引、次いで為替取引ときて、次に始めたのは商品先物で、これは典型的な転落コースと呼ばれています。

株→先物→為替でも良いのだが、安全でリターンが低い投資から、ハイリスクハイリターン投資に変わっていくのです。

現在でも株に投資して失敗した人はレバレッジが効く為替や先物に手を出し、さらにハイリスクな投資に手をだします。

 

堅実な投資家に変身

敗者のパターンから言うとケインズも転落する筈だが、そこが凡人と違うところで、あっさりと4万ポンド(現在の20億円近く)に資産を増やしています。

ケインズがやったのは小麦、綿花、ゴム、金属などの先物で、レバレッジを掛けて大量の注文をしたようです。

彼は経済予測に関しては、自分が世界一だと思っていたので、絶対的な自信を持っていたでしょう。


そこに襲ったのが1929年のNY大恐慌で、資産の8割を失いながら、なんとか生き残りました。

それからのケインズは自分の限界を悟り、学生時代のような株式投資に戻り、堅実な長期投資に改めました。

賭博的な手法はやめて、企業の成長力や価値を見極めるスタイルで、生涯を通して勝ち続けたそうです。